随風日記 勝手気儘随想帳 巻之弐
獅子身中の虫の事。
こんばんは。
随風さんでございますよ(∩´∀`)∩
先ずは近況とか。
…生きてます(笑)
それだけですね。
これで十分なんじゃないでしょうか。
四月五月ごろなんて、死ぬことしか考えてませんでしたし。
で、本業が終わる時間が遅めということもあるのですが
まぁ何というか、本業以外の部分で多忙を極めています。
約束ドタキャンしちゃった皆様、本当にごめんなさい。
埋め合わせは致します。
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例えば、の話です。
一日に袋一個のゴミを出す食堂があったと仮定します。
この食堂は月曜~土曜まで営業しています。
で、ゴミ収集車は、月曜から土曜まで、毎日収集に来ると仮定します。
この食堂は月曜から土曜まで、事業活動に伴って、ゴミが週に6袋排出される事は文章を読めばご理解頂けるものと思います。
また、ゴミ収集車は、月曜~土曜まで毎日1個、ゴミを収集する事もお判り頂けるものと思います。
で。
これまた仮定の話ですけれども。
ゴミ収集車が、一日に300件の食堂を巡回していたと仮定します。
そのうち、100件の食堂に対して、折からの燃料高騰を理由に、月曜~土曜までの週6回の収集を、来月初日から火曜と金曜の週2回に変更してくださいと一方的に言ってきたとします。
月末までは、
月曜300袋
火曜300袋。
水曜300袋。
木曜300袋。
金曜300袋。
土曜300袋。
これもわかると思います。
簡単な話ですから。
ところが翌月、
月曜200袋。三分の一の食堂が、毎日収集から火曜金曜の週二回に変更になったからです。
火曜は400袋。月曜に収集していない食堂の分の反動が来ます。
水曜は200袋。
木曜は200袋。
金曜は500袋。火曜金曜に変更になった食堂の、水曜木曜の営業活動のゴミが、金曜に集中するからです。
土曜は200袋。
その翌週。
月曜は200袋。
火曜は500袋です。先週の土曜の分と月曜の分の反動が出るからです。
水曜は200袋。
木曜も200袋。
金曜は500袋。
土曜は200袋。
こんな感じになりますね。
何が言いたいのかといえばですね。
こういう事が実際に行われているんです。
「効率化」のお題目の下に。
これは物凄く単純に書きましたけれど、
実際には週3回収集を週1回に変更だとか、
週二回を1回に変更だとか、
個数も1個とは限りません。
2個の所もあれば、10個なんて所も当然あるわけです。
つまり、収集件数が減少している事は事実ですけれども、
それに伴って物量も減少しているような誤解があるわけです。
件数減って楽になったんだべ?だとか
件数減ってるのになんでこんなに時間かかんのよ?
みたいな、木を見て森を見ずみたいな見解があるんですが、
私はそれを真向否定する者です。
月・水・金で各2~3袋出る事業所がですよ、
週1月曜のみに変更になったら、
月曜に最低でも6、最高なら9出る理屈です。
従来は2~3だった所が、6~9になる。
これで楽になったと?
これでわからないなら終いにはこう言って差し上げたい。
「あなたバカですか?」
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私は、今在籍している会社で頑張っていくつもりだったのですけれど、
あきらめました。
遅かれ早かれ、辞職すると思います。
理由はいくつかあるんですが、主だった理由としては
①誤った権力意識を持った社員が増えて、厭戦気分が蔓延していること。
②次期経営者と目される人物が、非常にぬるい感覚に毒されていて、その周辺の取り巻きも愚かな者が多く、その愚かな者の発言が自分の意思決定の大きなファクターとなっていること。つまり、重用すべき人材を決定的に誤っていること。
③自分は、社内縦断の人脈よりも、社外横断の人脈を重視しており、ある程度、社外横断の人脈を形成する事が出来てきたこと。
ほかにも沢山理由はありますけれど、
今後10年程の間に、決定的な転換期を迎える筈です、弊社は。
その時に、舵取りを誤らなければ良いのですが、舵取りを誤る公算が非常に高いな、というのが私の見解なのです。
別に、弊社の給与所得だけで生活を組み立てているわけではないので、会社が倒産しようが何しようが、私個人では知ったこっちゃないんですが、今のままで行けばやがて立ちいかなくなります。これは断言できます。
…残酷なようかも知れませんが、
私は従業員達が路頭に迷った様を見て笑う事とします。
その時に彼らが支払う代償は、仕事という名で正当化された、実際には会社に貢献していない、ある意味では無駄に過ごした時間の「ツケ」に他ならないのですから。
長くなりました。
今宵はこの辺で失礼を。
随風でした。
夜々の眠り。
こんばんは。
随風です。
何だか最近は陰鬱極まる文面ばかりだったので、
自分なりに努力をして、本来の自分らしい文面で、
読む人を安堵させてみよう、という趣向です。
自分は、今いる職場に定年まで居続けるつもりはありません。
それは、今の仕事が自分に向いていると
一度も思ったことがないからです。
では何で転職しないのか?
と、普通に疑問が沸いてくる筈です。
私の主義を押し通しているから、というのが答えになると思います。
・・・じゃあ何?
自分に向いてない仕事を我慢しながら延々続けていくのがあなたの主義?
違います。
男としての義理、です。
私が自分に向いていないと認識していながらも、
今迄こうしてこの仕事を続けてこれたのは、
多くの先輩たちの示唆や指導有ったればこそです。
それらを自分の血となし骨となし、
発展応用進化させた上で後輩たちに伝えていくことや
社をブランド化させ、競争に勝つ知名度を作り出すこと、
社の弱点を改善させ、それを強みへと転じる努力。
これらは先輩たちの思いに応える事でもあると信じています。
私が受けた義理を返す方法として、
最も適切なものであると今も信じています。
たとえ、社を辞めていった人たちであっても、
「かつてあの会社にいた」
と、自慢できるような強固な組織体になっていけば。
そんな風にも思っています。
・・・思ってはいますが。
なかなか思うようにいかないのもまた現実な訳でしてね。
人の努力には目を背け、
努力の結果もたらされた成果には妬み
瑣末なミスでさえ徹底的に揶揄される今の状況を変えることは、
社内の空気が今のままだと成就するのは難しいかもしれません。
社内での競争が健全な方向へ向いていないからです。
人の能力には差があります。
それは当然です。
そしてまた、得意不得意もあります。
これも当然の理です。
適材を適所に配置する、という事は
組織体を効率的に運用する上で非常に重要なことです。
しかし、人材の適正を図る物差しが、一元的で浅薄であるため、
組織が効率的に運用されているとはいえない状況が実情です。
そしてまた、配置の納得性も重要でしょう。
配置された人間が、自分の配置に納得できなければ
意欲にも影響が出てくる筈です。
しかも、折からの人員不足によって、
まさに動脈硬化寸前の状況にあります。
あらゆる面において二重丸を付けられないような、
様々な問題を包含している現状ですが
そんな中にあっても出来ることに全力で向き合い、
最大の効果を出し、成果を残すことが求められています。
それらが判っていれば。
立ち居振る舞いは自然と決まってくる筈なのですが
どういうわけか現場サイドには緊張感がない。
そこまでする必要は無い、
トラブルにならなければそれでいい、
見ていなければ何をしてもいい、
そんな空気に満ち満ちています。
・・・困ったものです。
或る刺青の死人の朧な肖像。
随風です。
昨日書いた記事に、嘘偽りはありません。
今日はまた同じような暗い内容になると思います。
そういうのが嫌だという方はスルーすることをお勧めしておきます。
今回の標題は、まさしく私の事であります。
私は、我が子の育つ様を見届けることも叶いませんでした。
私は先にも申し上げたとおり、自分の命など最早どうでも良いのです。
私が、世に存在する最も残酷な方法で生命を奪われようと、
私の名誉がどれほど毀損されようと、
・・・子がまっすぐに、立派に育てばそれでよいと考えています。
そして、その子を奪われたなら(元妻が)正気を失う、
その子は私たちが立派に育てます、との
義母の言葉を信じ、私が育てていくことを断念したのでした。
私が正気を失おうと、子が愛の溢れる豊かな環境で育つなら、と
そう思ったからでもあります。
しかし、私が否応なく突きつけられ、向き合わざるを得ない喪失感たるや、
想像を絶するものでした。
様々な方法を以って、自らの生命を絶とうと試みました。
しかし、いずれも失敗しました。
愛する子や妻のない人生になど、微塵の未練もありませんでした。
ましてや、愛する妻から浴びせかけられた言葉の数々、
そして私の目の届かぬ場所での行動は、
私の今までの幾多の試みや努力、工夫をすべからく水泡に帰すに十分なものでもありました。
それでも自分は、一縷の望みを抱いていました。
いつか、子が私の元にやってくるかもしれない。
それまで、生きてみようか、と、一時考えたことがありました。
それでも、子を見放した自分をどうしても許すことができず
自分に、生涯絶対に消えぬ傷を入れる決意をしたのです。
刺青。
30cm四方ほどの大きさの傷跡の刺青を入れました。
そしてその傷跡の下に、
我が罪は万死に値する大罪なり、生涯悔いよ、我は許されざる者。
と書き添えました。
涙を流して許されるなら、いくらでも流しましょう。
それが血なら許されるなら、私は命を失うまで血を流し続けましょう。
許せ、我が子よ。
私を恨んで気が済むなら、いくらでも恨め。
私が死んで気が済むなら、喜んで死のう。
私の生命を奪いたいなら、いつでも奪うがいい。
笑顔で差し出そう。
差し出す時に、お前の顔が見られるのだから。
奈落の住人。
随風です。
久しぶりの更新なわけですが、
とりあえずは「仕方なく」生きています。
仕方なく、と書いたのは、
毎日死ななくてもいい理由を探して、
死ななくてもいい理由を見つけ、
その理由を生きている理由としながら日々を生きているからです。
前回の更新から、さまざまな変化が否応なく自分に降り掛かりました。
子が生まれた、までは良かったのです。
その後、妻が重度の鬱になりました。
看病や育児から、自分も鬱になってしまいました。
そして離婚をしました。
一度に子と妻を失い、同時に生きる目標を失いました。
妻も、子も、私は心から愛していました。
しかし妻から突きつけられた言葉や、
別人かと見まごうばかりの立ち居振る舞いに、
両親も、私自身も困惑しながらも、
身を切る決断をしなければなりませんでした。
この時、私は死にました。
今は死を非常に身近に感じながらも、
日々を仕方なく生きる。
そんな毎日を年明けからずっと続けています。
死の安寧を望みながら。
同時に、一部の人間に対し強烈な憎悪を抱き続けています。
殺意、という言葉が鴻毛のごとく感じられる程の、
純粋で、強烈な感情が私の中にあります。
願わくば、我が生ある内にその人たちと出くわす事がなきように。
最近、鬱の症状が悪化し、通常の業務に耐えられないという事で
まとまった期間、休職しました。
今は復職してはいますが、以前のようなタフな仕事には耐えられず、
比較的負担の少ない業務に就いています。
仕方なく職場へ出て行って、家に帰っては血の涙を流す。
・・・そんな毎日です。
それでも、
毎日、仕方なく、生きています。
強い憎悪を抱きながら。
Rise from the ashes...
...Knight's Armament Co,. SR-47 assault rifle
男が、もっとも男らしい瞬間とは、
恐らく、戦いに立ち向かう瞬間なのだと自分は思う。
男は生まれた瞬間から戦う事を宿命づけられた生命体なのだ。
社会での競争も戦いだ。
そして戦いに勝ちを収めるべく、奮闘努力するのだ。
輝きを失わない男は、
勝ちにこだわり、努力奮闘し続けるからこそ、
輝き続ける事ができるのだと思う。
…今更?
何を言ってる。
武人の魂は不滅なんだぜ(笑)